INTERVIEW

◆監督:京田知己インタビュー

―『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』はアネモネがタイトルに掲げられています。

京田タイトルについては、まず宣伝サイドから「“2”とつけたくない」というリクエストがあって、サブタイトルを考える必要がありました。
もっと作品内容を象徴するようなタイトルを付けることもできたのでしょうけれど、それがダメなら『ANEMONE』しかないよね、と。

―『ハイエボリューション1』のころから、2作目はアネモネの話になると予告されていました。

京田『ANEMONE』の基本的なコンセプトは『1』を作っているころからありました。
『1』がああいう形にならざるを得なかったことを踏まえて、スタッフの間で自主的に検証を重ねた結果、様々な制約から選んだ『1』の作り方を、むしろ作品のコンセプトとして「前提」にしなくてはいけないと考えたんです。そこから「今の時代に作るなら、こうしないとダメだろう」と生まれたのが『ANEMONE』です。コンセプトアーティストの富安健一郎さん(INEI)に描いてもらったティザービジュアルはコンセプトアートも兼ねつつ、これまでと全く違う方向性にしました。

―ティザービジュアルでは東京らしい都市が燃えています。

京田あれは東京です。『ANEMONE』の冒頭の時点で地球の各所に「エウレカ」と呼ばれる謎の存在が出現し毒素を撒き散らして、人類をギリギリのところまで追い詰めています。そして東京に存在するのが7番目のエウレカ―エウレカセブンと呼ばれています。
エウレカセブンに対して、人類はまったく有効な対策をとることができません。このギリギリで、絶望的な東京の状況のビジュアルで、これまでとはガラッと違うということを明確に伝えたかのです。また『ANEMONE』は、独立して楽しむこともできることを目指した映画なので、洋画のディザスタームービーのような “終末感”“絶望感”に反応してくれる観客にも届いてほしいという狙いもあります。

―独立した映画として楽しめるそうですが、主人公はアネモネですよね。

京田『ANEMONE』の主人公は、こちら側の世界にいる“もうひとりのアネモネ”です。名前も石井・風花・アネモネといいます。
早くに母親をなくした彼女は、7歳の時に父も失います。父は、エウレカセブンを止める作戦に参加して帰らぬ人となったんです。
そして7年が経過し、今度はアネモネ自身が作戦に参加し、エウレカセブンの“中”へと意識を伝送(ダイブ)させることになります。
この映画は、そんなアネモネの“喪の仕事”を描きます。

―どうして“喪の仕事”を描こうと思われたのでしょうか。『1』もレントンの父アドロックの死を描くところから始まりました。

京田世の中にはなんらかの理由で親がいない子供がいますよね。死にせよ別の理由にせよ子供の前から姿を消した親はどんな気持ちだったんだろうか、ということを『ハイエボリューション』が始まる前からずっと考えていました。たとえば身近にも子供を残して亡くなった友達がいます。残された子供に、お父さんの友人だった自分がどんな言葉をかけてあげることができるのか。
結局、そこで言ってあげられるのは「君を忘れて行ってしまったわけではないよ」ということなんじゃないか。そういう思いを『ハイエボリューション』には込めたかったのですが、『1』の段階ではどうしてもそういう方向に持って行ってはくれなかった。
だから『ANEMONE』では、そこを正面から嘘をつかずにそれだけを描く事にしたんです。そして、そのアネモネの小さな喪の仕事が、宇宙規模の喪の仕事にくっついてしまう……という展開になっています。

―素朴な質問ですが、するとエウレカやレントンはどうなっているのでしょうか。

京田レントンについては……本編を見ていただくとして。エウレカは登場します。アネモネがエウレカセブンの中にダイブするたびに出会う、青緑の髪の少女、それがエウレカです。今回の映画はアネモネとエウレカの映画といっていいと思います。アネモネがある種、レントンのような役回りでエウレカに接していくことになります。今回、アネモネ視点でエウレカを眺めることになって、改めてエウレカというキャラクターが見えてきました。エウレカというのはかなりお姫様なキャラクターなんです。もしかすると女の子に嫌われやすいかもしれない。そんなエウレカだから、アネモネと会う意味もあるんだなと。

―ドミニクは登場しますか?

京田あまり多くは言えませんが、アネモネに合わせて新たな立ち位置で登場します。
ただ、今回の物語の軸はアネモネとエウレカのほうにあるので、アネモネを支えるような役回りです。
漫画的表現ではありませんが、彼が本来持っていた魅力を出せたかな、と思っています。

―そのほかのキャラクターたちはどうなっているのでしょうか?

京田そのほかのキャラクターについていうと、『ANEMONE』ではおじさんキャラクター……アネモネのお父さん・賢とデューイ、それにベアですね……をかっこよく描こうと心がけました。自分がおじさんになって、現実のおじさんというのがいかにカッコよくないかはよくわかっているので、だからこその3人にかっこよくあってほしいなと。賢はアネモネのドラマに深く関わるので当然ですが、デューイとベアも方向性は違うけれど信念を持っていて、それがちゃんと行動に現れる人として描いたつもりです。

―今回は3DCGパートも多いと聞きました。どういう部分で使っているのでしょうか?

京田メカはこれまで通り手描きで、メカ班がいい意味でとんでもないカットを描いてくれています(笑)。
3DCGは全編の約四分の一ぐらい使っていますが、基本的にキャラクターのカットです。3DCGから遠そうなボンズというスタジオのエウレカセブンという作品で、3DCGをキャラクターに使うというのもまた面白いのではないかなと思っています。

―どうしてキャラクターを3DCGで描こうと考えたのでしょうか。

京田今回の3DCGは『楽園追放 -Expelled from Paradise-』で一緒に仕事をしたグラフィニカが担当しています。直接その時のメンバーが参加しているわけではないんですが、今のグラフィニカであれば、おもしろいキャラクターのお芝居が作れると考えたんです。
もちろん3DCGにはまだ得手不得手ありますが、それも時間の問題で、現状でも充分作品を支える柱になるだろうと。あと、昨今の手描きアニメでは、画面のクオリティを保つための作画監督の負担がどんどん増しています。それならば3DCGにして、アニメーションディレクター的な立場で関わってもらったほうが、作画監督の全体的な負担も軽くなるのではないか、という考えもありました。

―実作業はどんなふうに進めているのでしょうか。

京田基本的には3DCGだからといって特別扱いせずに、ほかの作画パートの原画マンと同じ扱いをしています。
いってしまえばセルルックアニメーションの方法論で作られた映像であるなら、3DCGも手描きも本質的にやることは変わりません。
だから出来栄えは、担当している人間の意識がどこにあるか、でしか左右されません。セルルックでキャラクターを表現する以上、手描きアニメのリールやTIPS(コツやテクニック)から逃れることはできませんが、逆にいうと、それを利用することで、3DCGの不得手の部分を解消して合格点をあげられるものを作るのは決して難しいことではありません。今回クライマックスの後半をまるっと3DCG班が受け持ってもらいましたが、かなり漫画映画的なおもしろさのあるシーンに仕上がっています。

―3DCGはかなり重要なパートを担っているのですね。

京田はい、当初は異なるパートをお願いするつもりだったのですが、様々な制約の中で検証を重ねたのですが、結果的に最もふさわしいのはクライマックスのシチュエーションなのではないかという考えに至りました。3DCGはそこを柱にする一方で、メカチームが手描きの腕を振るう展開もその前段に作って、2つの柱で映画を盛り上げるようにしたほうが、それぞれのスタッフが作品に参加した楽しさを実感してもらえるのではと考えました。

―『ハイエボリューション』3部作における第2部『ANEMONE』というのはどんな役割を果たす作品でしょうか。

京田物語的にはここまでお話したような、アネモネが喪の仕事の中でエウレカと出会い、エウレカが動き始めるという内容になっています。
そして、ストーリーと併せつつ考えたのが『エウレカセブン』のアップデートです。これは企画として僕らが集められた時にオーダーされたことではあったのですが、2006年のTVシリーズのイメージを引きずってしまっていた部分を、やはり今回明確に現代のものに変えてしまおうと考えました。たとえば要所で使われてきた「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」というセリフ。
このセリフが成立したのは2000年代初期だからで、今にはどうしてもそぐわない。『ANEMONE』では、そういう『エウレカセブン』に自然と求められがちが枠組みをバラバラにして、その可能性をまっさらな形に広げるつもりで作っています。

―公開を待つファンの方にメッセージをお願いします。

京田『ANEMONE』はとてもシンプルな物語です。クライマックスも、昔の漫画映画のようなつもりで組み立てました。
アネモネの視点、あるいはアネモネの父・賢の視点で、それぞれの気持ちを考えながら見ていただければうれしいです。

【プロフィール/京田知己】
TVアニメ「交響詩篇エウレカセブン」(2005年)監督
劇場アニメ「楽園追放」(2014)演出